福岡在住の女性読者から
届いた感想をご紹介します!
十番勝負の感想です。
長くなりますがすみません。
よしりん十番勝負開催お疲れさまでした。
藤井氏、施氏は、ずっと男系男子で続いてきたとか、男系男子を伝統と言って憚らないあたり、こりゃだめだとがっかりしました。
どんな反論を展開されるかと思いきや、高森先生やよしりん先生の著作を読んでいればすでに済んだ話の繰り返しでしかなく、両氏の勉強不足、思索不足が露呈されただけでした。
長いこと思い込んでいたものを変えるのは時間がかかるんですけど
(私も最初は皇室は男で続いてきたと思ってましたし)
知ろうともせず、ろくに考えもせずというのは知識人、言論人としてどうなのかと。
皇室は大事と言いつつ、ご提案は設計主義で皇室は皇室を「やって当然」の口ぶりで。
保守ならば、守るべき皇室の伝統は何かをまず探求してほしいです。男の血ではないはずです。
男系男子で繋がなければ存続の意味がないと思ってるんでしょうか。
皇族の方々のお姿に自然と感じる敬愛の念が、男系男子の血が輝くオーラに見えてるんでしょうか。
私は、愛子様の輝きは、聖域に生まれ両陛下に育まれた、お育ちに由来するものが大きいと思うので、直系長子優先は当然だし、
わざわざ男の血に拘って、一般国民男子に皇籍取得させるような皇室の存続では、存続させるべき皇室の尊厳が失われると思います。形骸化しますよね。
施氏の、国民は、所得が下がったせいで子供を持ちたくても持てない事情もある、国民の出生率と皇室のそれを一緒に考えなくてもいい、というような発言は
呑気の度が過ぎる、皇室には神風が吹くのかと開いた口がふさがりませんでした。
藤井氏には、与党精神を持ち出すなら、一般国民男子の皇籍取得希望者をまず見つけてきてほしいですね。
いないなら(いないけど)、「万策尽きたら」の逃げの前提が成り立ちませんから。机上の空論です。
そもそも女系公認は、直系長子優先になるだけで、当然男系男子を含み、男を否定して女をよしとしているのではないので、男系男子派に妥協する必要を感じません。
このままでは続かないから、一番シンプルに、今ある継承の道幅を広げましょうと言ってるだけ。
男に拘って、わざわざ一般国民男子の皇籍取得なんて大工事やる方が伝統が壊れます。
藤井氏は、西部先生が私財も投じて続けてこられた雑誌を受け継いで、早々に潰すわけにはいかないでしょうけど、
正しいことを主張するために雑誌やってるんじゃないかと思いますし
(そういや西部先生も、パール真論のときに中島岳志を身びいきしてたり、原子力発電についてもよしりん先生と意見違ったりしてましたが)
西部先生も、皇統については女系公認でしたから、論理的に正しい女系公認を貫いてたとえ雑誌が潰れたって構わないんじゃないかしらと思います。一読者の想像にすぎませんが。
西部先生自身、ただ続けばいいをよしとせず自裁を貫かれ、藤井氏も戦後の生命至上主義を否定されてるはずです。
皇室だって、それはもうなくなっていいものではないんですけど、何がなんでもただ続けばいいものでもない。
時代(景気)が違いますし藤井氏の雑誌を維持するご苦労もたいがいと思いますけど、時代がちがって雑誌のほかにも持論を展開するメディアはありますしね。紙の本は別格としても。
読者が離れる覚悟をして、でも正しいと思ったことを描くよしりん先生とは、真剣の度合いが違うなと思います。
大御心にダメだしするなら腹斬る覚悟の上でするべきと思いますが、藤井氏の妥協案がそのようなものとも思えませんし。
ご自身が粉骨砕身して訴えてこられた積極財政論に賛同する議員が、大体男系保守派のようなので、そちらに対する配慮をせずにいられなかったのでしょうか。
蛇足ですが、オドレら正気かで話が出た男尊女卑について。
なんというか、藤井氏の男女感覚は明治の家父長制なのかなというか、男系男子に配慮するあたりも明治保守なのかなと思いました。
男が男をやっているんだから女も女をやってほしいというのはわかる気するんです。
女も、男が男やってくれるから女をやれる、やろうという感覚はなんかある気がする。
でもその男性像、女性像が明治なんかな~っていう。
男らしさ、女らしさ、男の役割、女の役割って、こうありたいとかは、私的領域では人それぞれでいいんだろうし私も考えまとまらないんですけど。
よしりん先生がで仰っていた、女性を戦争の前線になんか出せない、ひどい目に遭わせられない、というのは、男尊女卑どころか、女尊男卑じゃないんですかねえ。
すべてにおいて、男と女を平等に、同じ扱いをしろというなら、お風呂もトイレも男女分けちゃダメだし、スポーツや競技も男女混合でやらないと。ボクシングだろうがレスリングだろうが総合格闘技だろうが。って話ですよね。
身体の違いはあって、だから男と女と別の生き物なわけで。
三浦瑠麗的な言い分はあまりに理に走って機械的で男女平等イデオロギーに縛られすぎています。
よしりん先生のいうのは身体の違いであって、女の主体性や能力を否定されているわけではないと思います。強いものが弱いものを守ろうとする、当然の思いやりでもあると思います。
女にも、子供やお年寄りを守ろうという気持ちはあって、それは子供差別になっちゃうのか、と思いますし。
理で情を切り捨てず、掘り下げて補い合えば鍛えていけるというか、理からも情からももっともなところに落ち着けるんだなと思いました。
そのように引き続き考えを深めていきたいと思います。
藤井氏、施氏は当ブログに載せている
圧倒的に論理的な感想を
読んでおられるでしょうか?
それとも、見たくないものは見ないで、
居心地のいい岩盤世間に埋没していく
だけなのでしょうか?
もしも仮に後者だとしたら、
知識人としてはもはや晩年。
あまりにも早く、あまりにも永い晩年を
過ごしていると見るしかありませんが。